映画②

君たちはどう生きるか (スタジオジブリ, 2023)

自分なりの評点 : 3 / 5

 

映画館で見た.宮崎駿.タイトルは吉野源三郎って人の1937年の小説から来ているらしいが,拝借したのはタイトルのみで内容はオリジナル?英題は "The boy and the heron" (少年と青鷺).公開まで開示された情報は青鷺のポスター一枚のみで,まどマギの次回予告くらい供給を絞っている.

内容としては,戦争で母を失った少年が東京を離れ,父と,再婚した母親と3人で田舎で暮らすところから始まり,言葉を喋る上になぜか母を戦災で亡くしたことを知っている青鷺と出会う.青鷺曰く母親はまだ生きていて助けを求めている事,また新しい母親が失踪した事をきっかけに,青鷺の待つ変な塔に入り込むも,別の世界と繋がっており,何故か少年と同い年くらいだった頃の母親や,家にいる家政婦 (?) の若いバージョンと出会う.彼らと協力しながら失踪した母親を探し,最終的に塔の設立者である主人公の大叔父と出会い,「悪意の石」で出来ているこの世界を「悪意に染まっていない石」で作り替えて管理して欲しいみたいな話になるも,自身に悪意を持った行為を働いた経験があることを理由に断り,新しい母親を連れて現実世界に戻る.戦争が終わり東京に戻るところで映画は終わり.

 

訳がわからないというのが正直第一印象だが,何となく「悪意」がテーマになっているような気がした.戦争とか滅茶苦茶に悪意に満ちている現実世界と異世界との対立,と纏めてしまうと単純すぎるが,その異世界もデカいインコやペリカンに食われかけたり悪意の石で不安定な情勢になっていたり (これは大叔父が積み上げた積み木が今にも崩れそうな状態である所から類推される) と,別にユートピアのような描写はされておらず,単純な対比ではない気がする.赤子として生まれる前の人間が,ちぃかわみたいなマスコットとして描写されていたり (ある程度栄養を摂取した後,「上 (現実世界) 」に行って人間として生まれるらしい), 死にかけの鷺が「ここは地獄だ」みたいな事を言ってたりする所を見ると,ファンタジー要素を取り込んだ拡張現実みたいな捉え方もできるのかもしれない?もしくはいわゆる「地獄」を宮崎駿なりに描写しているのかもしれない.少年が「悪意に染まっていない石」を使った世界の創世を拒絶し,自身の悪意を認めつつも友達を作って生きていくと決意するところに,観客への「生き方の問い」が示されているように感じた.人間のみならず,インコにも青鷺にも向けられる「悪意」を,自分にもあるものとして受容するかどうかが焦点?しかし,「悪意に染まっていない」という事が何を示すのかいまいち分からない.「そういう石を大叔父が頑張って探してきた」という事実しか提示されていなかった気がするし,そういう人間が描写されていたような気もしない.それはもしかすると,悪意のない人間など居ないからかもしれない.大叔父の「どちらにせよ,お前は早くこの石で世界を積み上げないといけない」という台詞は,少年が代表する若い世代が,表面上でも悪意のない世界を作っていかなければならないという意味で,いわゆるグローバリゼーションやサステナビリティみたいな概念を揶揄しているのかもしれない (実際,時代錯誤的な侵略戦争が現在進行中である).悪意に満ちた世界を,避けようのない悪意を持ちながら,どう生きるか?という話だったのかもしれない. 

いずれにせよ,原作(?)を読めばもう少し深く理解できるかもしれない.難しかったしケツが痛かったので3点.