「迷子」
"道に迷った子供。連れにはぐれた子供。"
でも盲目ではない
「迷子」
"道に迷った子供。連れにはぐれた子供。"
でも盲目ではない
「余生」「無能」今ならよく分かる気がする
無能な自分とは全然ベクトルの異なる才能を持つみんなが大好きだった 好きな人間を自分の中のどこに置けば良いのか分からなかった
残ったのは最大値を見上げるだけの余生 当然の報い
でも条件付き無能と根っからの無能は全然違う
BUSINESS MANNER TRAINING 吐き気がした
「決められる事が死ぬほど嫌」なんだと思う
一挙措一投足,発する言葉とその間を全て縛られるという事 人間関係のあり方,その構築方法の正解を決め打ちされてそこに放り込まれる事
最終的な結論に異論はない.「心理的安全性」(使いたくない最近のバズワード) の重要性はよく分かるし,そこに至るまでの人間社会のゴミみたいな歴史がある事も分かるが,そこに人間を縛り付ける事,縛り付けられた人間に囲まれる事で自分もまた「縛り付けられざるを得ない」事,殴り合い殺し合い嫌い合い(?)を孕む関係性も一定の条件下ではある種健全である事を完全に無視している事
あらゆる慣習に中指を立てないと気が済まないのか?手の数が足りないから足でも使って中指立ててろや
タバコやめられない理由分かった 世に逆行してる気分になれるからだ キモ
選択の正誤をどう判断するのか
普通に生きていれば,対峙する選択の殆どは 1. その根拠をバイアスに基づいて選び取ってくる 2. 事後の感情に基づく という方法でしかその正誤を判断できないものだと考える 良い選択 (unclear) をするには,未来は分からないので,1 しかない
ex.) 今後の人生でお茶とコーヒーどっちかしか飲めないならどうするか
「コーヒーはカフェインを含むし歯が汚くなるからお茶にする」
「お茶飲んでも眠気覚ましはできないしなんか年寄りっぽいからコーヒーにする」
どっちでも良いけど結局重要なのは最終的な選択であって,それまでの数十文字は自分の選択を正当化するために(不都合な事実に目を瞑って)有利な根拠を持ってきて説明しているだけで,何とでも言えるのであんまり意味がない
「悩んで決めた選択は全部正解」とか誰かが言っていたけど,それはもう少し細かく言うと
「意思決定を行う上でなるべく多くの評価指標(≒根拠)を持ってきて比較検討する事で,選択の根拠は,「狭い領域に限られた領域から抽出された(≒バイアスがかった)理屈の集合」から「より広い領域から無作為に抽出された(≒正規分布に従った)バイアスの少ない理屈の集合」に「近づき」,後々後悔する(≒検討していなかった評価指標によって選択の正当性が損なわれる)可能性が「減る」」みたいな 中心極限定理的な理屈だろうか
「全部正解」は言い過ぎ 事後の感情で結局全否定される可能性もある
大抵の場合理屈に基づいて物事を選んで生きているつもりでも結局は曖昧な感情に基づいて都合よく選んだ吹けば飛ぶような理を無理やり正しいと信じ込んでるだけで何となくフラフラ生きてるのと一緒じゃないのか
放心