人生への絶望について

昨今,希死念慮が過去の平均を上回っていて,根本に人生への絶望がある気がするので少しまとめてみる.

 

人間の生涯には大雑把に考えて3つの要素があって,仕事 / 人間関係 / 趣味 ではないかと考える.それぞれに一切の希望が持てない (あるいは持たないようにしている) 為ではないかと考える.各々への考えをまとめてみる.

 

(1)仕事

仕事における希望とはキャリアの成功だと考えており,キャリアの成功が希望ではない,と考えている.

計算機科学の発展に大きく貢献したアラン・チューリングの人生は,個人的には希望に満ち溢れたものとは言い難いと考える.人間関係や趣味に一切目を向けず,ひたすら研究に没頭した結果,得られるものは「歴史に名を残す研究者としてのキャリア」だった訳だが,誉あるキャリアを歩むことと人生の幸福に相関が見出せない.研究室の天才的な同期を見て,こうありたい,勝ちたいという思いはきっとあるが,「自分にとって」そうなることが希望ある人生であるようには思えないという事実もある.平たく言えば,脇目を振らず研究に没頭することが他の全てを差し置いて重要であるように考えられないのである.そもそも没頭できること自体才能であり,その才能がないようにも思えるが.

 

(2)人間関係

仕事ができない人間は人間関係を充実させることでバランスを取ることがあると考えるが,これが最も私にとって期待できない物である.

そもそも,人間関係にトラウマが多すぎる (アドラー心理学上で存在が否定されていることは一先ず置いておく).

ずっと友人でいたいと思っていた人間にそう思われていなさそうだった事がまず挙げられる.自分は誰にとっても,重要度ヒエラルキーの上層の人間になれなさそうだと考えているし,友人としては誰にとっても必要のない人間であると考えている.またこれから歳をとって行くにつれ友人の重要性は薄れ,経年と共に真っ先に交友関係を自然消滅的な形で断ち切られる予感も大きい.結論,友人という関係性から幸福を見出せそうにない.

恋愛に関しても,今まで一番大きい感情を寄せていた人間に今までで一番嫌われてしまった.今後誰とそういう関係になってもその感情を超えられない予感がするし,そもそもそういった意味で自分を必要とする人間が今後現れるように思えない,重要度ヒエラルキーの上層に入れない以上,そんなところに踏み込むことはますますありそうもないと考えている.結論,ここからも希望は見出せない.

 

(3)趣味

学問への関心を差し置いて関心を抱けるものが少ない.行けるかもと思っても続かない.

 

Appendixとして,過去のトラウマを否定するのであれば,自身は自身が世界で最も不幸であることを望んでいると考えられるが,これはある種理にかなっている.

希望を抱かないことが身の保身に繋がる事を小学生の頃に経験してしまった.希望を裏切られる事による精神的ダメージから逃れるために,何事からも希望を見出さないようにしているのかもしれない.

 

言葉にしてみると意外に薄っぺらくてがっかりする.